第二話



「はぁー…」

夏休みも早々と過ぎ去り、夏の余韻をまだ残した少しさみしげな今日この頃。
相変わらず学校とバイトのラリーをしていた俺の身体は、そろそろ崩れてもおかしくないレベルまで弱っていた。
それに、最近は幸彦さんの帰りが自分より早いので、嫌でも顔を合わせてしまう。

理性を保つのにも体力と気力を使うらしく、家にいても彼の存在を感じてしまいゆっくり休むどころではない。


「洋輔、お前んちしばらく止めてくれないか…」

「何で?親とケンカでもしたか?」


洋輔はバイト仲間で、バイトの中では年が一番近いのでよく話す。
年下だが、遠慮なく物を言うところや同世代よりしっかりしているところが俺は気に入っていた。


「いや、そういうわけじゃないんだけどな…」

「浩司、受験生だろ?遊んでて良いのかよ。」

「それはそうだけど…」

「親父さん心配させるようなことするなよ。」


ごもっともである。

だがそれでは己の身が持たないのだ。
年下の洋輔に泣きすがったが、結局勉強しろと言われ断られてしまった。
泣く泣く帰宅をする。やはり家の明かりは付いており、幸彦さんは帰って来ているようだった。

俺の身体に、"こなきじじい"がのし掛かる感覚がした。


「ただいま」

「お帰り、ご飯は?」

「食欲ないならいらない…」

「お前、最近頑張りすぎじゃないか?」


幸彦さんが俺の顔を覗き込む。
ああ、やっぱりこの人の顔は綺麗だ…


「浩司?」

「あ、いや…何でもないよ。」

「お前な…何か変だぞ。」


ドキッ


「何が?」

「俺を避けてるだろ。」

「いや、そんな事…」

「なら、目を見て話せ!」


ガシッ

幸彦さんが俺の腕を強く引く。
少しよろめいたその瞬間、視界がぐるぐる回って真っ白になった。


バタンッ


「浩司?!」


あれ…

俺は…

どうしたんだ?

幸彦さんの声が、遠く聞こえる。
何でもないですよ作戦、失敗だな…

そんな事を考えたのを最後に、俺の意識はぷっつり途切れた。



******



「っ…ここは…?」


目を覚まして飛び込んで来たのは見知らぬ天井。


「俺は…」


一瞬戸惑うが、冷静になりゆっくり頭の中を整理してみる。

そうだ、帰って来て、幸彦さんと話している時に倒れたんだ。
やはり身体に限界が来ていたのだろう。
情けない…こんな姿、幸彦さんに見られたくはなかった。

また、彼に心配をかけてしまう…


「浩司!」

「あれ、兄貴…?」

「全く、倒れたと聞いて急いで来てみれば、過労とはな…」

「ここ、何処?」

「病院に決まっているだろう。明日まで入院だそうだ。」

「そっか…幸彦さんは?」

「さっきお前の着替え取りに帰ったよ。彼が泣きながら電話してきた時は驚いたが…」


え…
幸彦さん、泣いてたのか…俺が倒れたくらいで?
嬉しいような、申し訳ないような、複雑な気持ちになる。


「あ、兄貴、仕事は?」

「今日はもう終わった。明日は早いからもう帰るけど、大丈夫か?」

「うん、全然平気。ありがとね。」


兄貴が病室を出ると、部屋の外で幸彦さんの声がした。
どうやら荷物を持って戻って来たようだ。


『浩司、目が覚めてますよ。』

『!、良かった…」

『浩司と何かありました?』

『…』

『…それじゃ、後はお願いします。』

『ああ…』


ガチャ


「浩司…」


大きな紙袋を提げた幸彦さんが、俺の横たわるベッドへと歩み寄ってくる。
彼の姿を見ただけで、どうにも気まずくなり顔を背けた。
背けたら背けたらで、背中に感じる彼の気配がまた気まずい。

幸彦さんは、何も言わず持ってきた物の整理を始めている様だ。


「ごめん…」


最初に口を開いたのは、とうとうこの空気に耐えられなくなった俺だった。


「…何が?」

「迷惑かけて…」

「はぁ…俺はお前の父親なんだから、迷惑とか思わないでくれ。」


幸彦さんが、溜息混じりにそう発した。

"父親"

彼にそう言われ、外傷の無い胸を抑える。

それに気付き、少し焦り気味な彼の気配が近づく。


ドキドキドキドキ


「どいした?」

「何でもないよ…」

「目を見ろ、浩司。」


ぐいっ


「ちょっ」


無理やり顔を掴まれ、目線が合う位置に持って行かれる。
そこには、少し疲れた様子の幸彦さんの顔があった。

同時に、少し哀しそうな表情をしていた。


「俺は、心配をしているんだ」

「わ、分かってるよ…」

「何が不満なんだ?」

「不満とかそういうのじゃなくて」

「じゃあ何だ!」


俺の顔を掴んだ手の力が、ぐっと強まる。

怒鳴られ、つい自分自身も感情的になり言い返す。


「だからっ!」


一瞬怯んだ表情を見せた幸彦さんだが、一層力強く見つめ返された。
こちらも負けじと見つめ返し、言葉を続けた。


「だから…親子とかもう嫌なんだよ…」

「なっ…」

「俺は、もう幸彦さんを父親って思えない。」

「浩司…っ!」


バタン


俺の言葉を聞き、幸彦さんは病室を飛び出して行ってしまった。
きっと意味は伝わってないけど、これが俺の本心。

傷付いた顔をしていた…

でも、このまま本当の想いを伝えても、もっと傷つけるだけだ。
これで良かったのだと、自分に言い聞かせる。



今まで奥底でくすぶっていた小さな炎は、一気に燃え上がり、そして呆気なく消えた。

炎を消したのは自分自身の手。

火傷はしたけど、一生この傷を背負って生きて行こうと思った。



次の日、退院した俺は家には帰らなかった。




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